鮎の友釣り
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鮎が上流に向かって遡上する本能は、やはり良質の主食の石垢を求めてのことだろう。
上流ほど水はきれいで、美味しい石垢がいっぱいだ。
一五センチメートルくらいになるまで群れでいた鮎は、ある日突然、この石垢をめぐり、
壮絶な縄張り争いを始める。畳一畳ほどを「自分の縄張り」と勝手に決め付けて、侵入者
を追い払いつつ、石垢を喰む。もちろん、石の垢を喰む訳だから、砂地や小砂利には縄張
りは作らない。必ず石があり、大きな石やテトラポットなどに囲まれた閉鎖的な場所は、
特に縄張り意識が強い。縄張りとほかの鮎との縄張りには、しっかりした線引きはなく、
一部重複していることが多い。この部分は共有というより、互いに追い出し合いを延々と
繰り返している。
根尾川中流域の金原ダムから舟山放水口の間は、発電用に水を取られ、川が水溜り状態
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になっている。いくつもの水溜りは、落差分の小さな落ち込みで繋がっている。
ここでは水面が鏡になり、鮎の縄張りが手に取るように分かる。縄張りに侵入する鮎を、
時に一直線に、時に円を描くような動きをして自分の縄張りから追い出す。時には自分の
縄張りから四〜五メートル離れても、まだ追いかけていくこともある。それでも常に石垢
を喰む事だけは忘れていない。鮎の生態研究には、持ってこいの場所だ。
このような川で鮎を見ながら行う友釣りを、「見釣り」と呼ぶ。おとり鮎が「野鮎」に
追われ、針掛かりする瞬間まで、一部始終を克明に見ることができ、同じ友釣りでも一味
違った趣向が楽しめる。
川にいて、尚且つ、追い気のある鮎を友釣り師は野鮎と呼ぶが、一旦釣り上げられた鮎
は、その時点で野鮎でなくなる。野鮎はかなり激しく、おとり鮎を追いかけ、時に体当た
りのような真似もする。針にはなかなか掛からないから、見える分、余計苛々する。特に
このような流れのない場所では、おとり鮎が野鮎に追われてすぐに逃げだしてしまうから、
性質が悪い。結果、「見釣りが、大嫌い」となる友釣り師もかなりいる。
以前、テレビで「鮎の縄張りの世界も、弱肉強食の世界だ」などと言っていたが、少な
くとも俺の見る限り、鮎の縄張りは弱肉強食などではない。「先住者優先」というのが、
適していると思う。一度縄張りを持った鮎は、侵入する鮎がどんなに大きくて強そうでも、
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果敢に追い払う。強く大きい鮎が縄張りを横取りする姿など、見たことがないからだ。
縄張り鮎、この習性を遺憾なく利用したのが、「鮎の友釣り」だ。
直径一〇ミリメートルほどの鼻カンを鮎の鼻の穴に通し、そこから掛け針を尻鰭の後ろ
に来るようにセットする。追いにきた鮎が掛け針に引っ掛かって釣れる。掛かりどころは
体中どこでも引っ掛かる。釣り用語で言う、「スレ掛かり」だ。仕掛けを投入してすぐ釣
れることを「入れ食い」とよく言うが、鮎の友釣りはすぐに釣れても口で食う訳ではない
ので、入れ食いではなく「入れ掛り」と言っている。
鮎が釣れた時は、鼻カン鮎と掛かった鮎が二匹上がってくることになる。ただし、腹や
心臓などに掛かると弱ったり死んだりするので、「背掛かり」が友釣り師にとっては一番
ありがたい。掛かった野鮎が水面と平行な体制で上がってくると、「おっ、背掛りやー」
と言って友釣り師は喜んでいる。
鼻カン鮎、これを「おとり鮎」と呼ぶ。親鮎、種鮎、囮鮎、地方によって書き方はそれ
ぞれでも、読み方はすべて「おとりあゆ」だ。
現在、最初のおとり鮎は養殖の鮎を使う場合がほとんどで、三匹一〇〇〇円程度。川沿
いにある、「おとり屋さん」で、売っている。天然の鮎が掛かれば、それをおとり鮎として
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使い、掛かるたびに、釣りたての元気の良い天然のおとり鮎に交換していく。背掛かりの
鮎は元気がよく、友釣り師が背掛かりを喜ぶ理由はここにある。実際、買ったおとり鮎を
三匹全部使うことは珍しいが、トラブルや掛かりが悪く弱った時の保険に、ほとんどの友
釣り師が三匹購入する。投網などで獲った天然鮎でも、元気ならまったく問題はない。
おとり屋ではおとり鮎だけでなく、お弁当や飲み物、遊漁券なども売っている。鮎釣り
は組合員以外の一般遊漁者は、一夏通しの年券(一〇五〇〇円)、もしくは日釣り券(二
一〇〇円)を買って入川する。現場で監視員に直接支払うと、日釣り券代と現地販売手数
料一〇〇〇円がプラスされる仕組みだ。現地販売手数料は一見、反則金にも見えるが、漁
協ではそう位置づけてはいない。もし日釣り券を前もって買わずに入川しても違反ではな
く、漁協監視員に出会わなければ、無料で釣りが出来たことになる。今日は条件が悪くち
ょっと試しに竿を出してみて、釣れれば現場で支払えばいいと、うまく利用している友釣
り師もいるようだ。初めから一日釣りをするつもりなら、先に買っておいた方が断然お得。
漁場監視員は日に二回は必ず回ってくるからだ。
また、おとり屋には、釣った鮎を買い取る制度がある。昔はほとんどが友釣りで釣った
鮎を買い取るか、家族のだれかが釣ってきた鮎をおとり鮎として売っていた。その名残で
もないようだが、今でも一匹三〇〇〜四〇〇円で買い取ってくれる。天然おとり鮎は人気
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が高く、一匹六〇〇円でも飛ぶように売れる。この値段なら食用に買っても、とてもお買
い得なのだ。
おとり屋にはもうひとつ、とても大切なものがある。無料だが、おとり鮎より大切なく
らいだ。それは「釣り情報」だ。友釣り師はスポーツ新聞の釣り情報や、おとり屋の生情
報を総合的に分析して、その日の釣り場を決める。友釣りは釣り場によって、釣果が大き
く左右される。前日よく掛かったところが、必ずしも良いとは限らない。縄張り鮎を釣り
切ってしまうと、次の鮎がそこに縄張りを持つまで掛からないからだ。より多くの新鮮な
情報を得るため、クラブを作っての情報交換も盛んに行われる。一方、一匹狼で穴場を求
めて釣り歩く漁師もいる。
根尾川には二四軒のおとり屋がある。店の主人が鮎釣りが大好きで始めた店。喫茶店、
飲食店などの片手間にやってる店。鮎料理店に付随しての店などいろいろだ。俺はおとり
屋の損得勘定を自分なりに勝手に計算してみたりするのだが、世の中にこれほど割りの合
わない商売はないと思っている。恐らく、どんな優秀な経営コンサルタントに相談しても
「廃業が一番」と答えるだろう。まして、喧嘩魚を釣ろうとする友釣り師相手では余程気
の長い人か、人間のできた人でないと、毎日客との言い争いばかりだ。儲からない上、腹
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を立ててばかりでは良いとこなしだ。
そんな諸状況の中で売り上げナンバー1は、なんといっても漁協事務所前の橋本屋だ。
商売は、やはり立地条件が一番。後は企業努力といったところか?根尾川の中心的釣り
場「組合事務所前」に最も近く、寄り付きも良い。
組合事務所前には、毎年、看板漁場としてほかの場所の二〜三倍の稚魚を放流している。
魚影が濃いため、友釣り本来の縄張り鮎でなくても群れの中を泳がすと偶然掛かることも
あったり、「鮎がいることの最低条件は満たしている」ことなどから、初心者からプロに
至るまで非常に人気が高い漁場だ。
橋本屋は遊漁券や飲み物、おにぎりなども販売しており、週末や夏休みの期間は早朝四
時頃から昼過ぎまで、切れ目なくお客さんが続くことも多く、常連客も飛び込み客も吸い
込まれるように、この店に入っていく。
橋本屋は、「スミちゃん」こと西田澄子、実の娘で「サッちゃん」こと山本幸代の母娘
で切り盛りしている。サッちゃんは毎日、嫁ぎ先の一宮市から三三キロメートルを車での
長距離通勤している。実の娘と一緒のおとり屋経営は、スミちゃんにとっては願ってもな
いことだ。
また、サッちゃんは英会話に長けていて、毎年、シーズンオフにはスミちゃんや家族な
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ども連れての海外旅行が今や通例となっている。外国人の友釣り師は俺はあまり見たこと
がないが、橋本屋ならまったく問題なしだ。事実、去年はイタリア人釣り師、今年はトル
コ人釣り師が訪れたそうだ。日本に訪れる外国人はほとんどが英語もOKで、サッちゃん
の活躍の場を一層広げている。
二人とも鮎の友釣りはしないが、専属友釣り師の情報を正確にお客さんに伝えるように
している。根尾川の場合、鮎釣り好きが昂じておとり屋を始めた店主も多い。友釣り師は
とかく講釈が多く、情報に持論を加える癖がある。話を聞いているうち、今日はどこが一
番なのか、こんがらかってしまう。この二人は釣りに対する主観がまったく入らない分、
情報に信憑性が出てくる。この情報を元に、後はそれぞれの友釣り師が勝手に釣り場を決
めればいいのだ。
スミちゃんとサッちゃんはいつでも、だれでも、どんなに忙しくても、たとえお客さん
でなくても、必ず笑顔で迎えてくれる。彼女らの怒った顔など見たこともない。「根尾川
のひまわり娘」そのものだ。それぞれが家庭を持ち、生活している中で悩みは尽きない。
おとり屋は朝が早く、結構きつい仕事だ。スミちゃんなど、冬場には体力を落とさないた
め、毎週二回はプールに通い、スイミングによる体力維持も欠かさない。そんな苦労はお
首にも出さず、無尽蔵ともいえる笑顔が、「スミちゃん、サッちゃんファン」をどんどん
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増やしている。初めは飛び込み客だった客も、次回からはもう常連客だ。
店内の六人掛けの食堂テーブルには、いつでもだれかが座っていて、夕方まで釣り談義
が続いている。今日初めて会った客同士が、何十年も前からの知り合いのような顔をして、
今日の釣りの自慢話をしている。直接売り上げには繋がらないが、釣り師に出会いの場を
提供することもおとり屋の大切な任務なのだ。共通の趣味を持つ人々が仲良くなるのはい
とも簡単で、俺自身おとり屋で知り合った友人は何十人もいる。
鮎釣りはいい日ばかりではない。いやほとんどがイマイチばかりだ。正に人生そのもの
だ。良いことはほんの僅かで、ほとんどが苦しいことや難儀なことばかりだ。気難しい割
に単純な友釣り師たちは、大漁の日は褒めてもらい、貧果の時は慰めてもらい、スミちゃ
ん、サッちゃんに明日への鋭気を貰って帰っていく。
ほかのおとり屋を圧倒する売上の秘密は、実はここいらにあったのだ。
俺自身、鮎の友釣り暦三五年の間に、「束釣り」をしたことが二度ある。束釣りとは釣
り用語で一〇〇匹釣ったことを意味する。二束なら二〇〇匹、五束なら五〇〇匹になるが、
なぜか釣り師は何百匹と言うより何束と言いたがる。大台に乗ったことに、よりインパク
トを付けるためだ。
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友釣りの場合、一時間に一〇匹とか半日で五〇匹とかは、だれもがよく経験することだ
が、一日での一〇〇匹釣りは相当条件が揃わないと難しい。友釣りの最高記録は何匹なの
かは知らないが、条件さえ揃えば一日二〇〇匹近くは可能だと俺は思っている。ただし、
体力的要素も含めるといくら条件が良くても、今の俺には五、六〇匹が限界のような気が
する。友釣りは一に体力、二に気力、三にはできるだけライバルのいない釣り場を選ぶこ
と。荒らされた釣り場で「入れ掛り」などありえないからだ。
鮎の友釣りは餌釣りと違い、おとり鮎を使うため、一匹釣るのに非常に手間が掛かる。
また、同じ場所で何匹も釣れることもあまりない上、一度に複数の鮎が釣れることもない。
その上、ほかの釣りにない、大きな弱点がある。
どんな釣りにも「バラシ」はある。特に友釣りは、すべてスレ掛りのため、「身切れ」
によるバラシば非常に多い。掛け針には「返し」がなく、掛かりを良くするため細く小さ
な針を使う。一旦ヒットしても腹などの皮の柔らかい部分に掛かると、ほとんどがバレて
しまう。リズムが悪いと三匹、四匹と連続してバレてしまうこともあり、おとり鮎だけ弱
って、益々リズムが狂ってくる。
もっと恐ろしいこともある。鮎の友釣りは掛かった天然鮎をどんどん使ってこそ、釣果
も伴なうもの。掛かった天然鮎を惜しがっていては釣りにはならない。おとり鮎には尻鰭
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の後ろに掛け針が付いているため、「根掛かり」もほかの釣りに比べると破格に多い。流
芯や深場で根掛りすると、痛恨のマイナス一匹。泣きたいくらいだ。
その上、友釣り師が最も嫌いな出来事。
「親子丼」
野鮎が掛かって取り込む祭、あまりの引きの強さに糸が耐え切れずプッツン。おとり鮎
と掛かった野鮎がまとめて「さようならー」。ヒットした鮎も計算に入れるとマイナス二
匹。しかも、仕掛けも一から作り直し。時間的ロスも含めると、もっと痛恨のマイナス三
匹といったところか。調子が悪いと、釣った鮎がどんどん減ってしまうのがこの釣りの最
大の欠点だ。これはだれもがごく普通に経験することだが、親子丼を怖がって糸を太くす
ると、今度は「おとり鮎が泳がない」と来てるから始末が悪い。今でも俺は親子丼をする
と、三〇分はそのショックから立ち直れない。本物の親子丼は大好きだが、友釣りの親子
丼を好きな釣り師は、まずいないだろう。
ただし、他人の親子丼はみな大喜び。ほかの友釣り師がすべてライバルである鮎の友釣
りでは、他人の不幸が自分の喜びに直結している。なんともさもしい話だが、これが友釣
り師の、友釣り師たるところなのだ。
プラスとマイナスを繰り返すこの釣りは、最終的にプラス一〇〇匹になるためには、一
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四〇〜五〇匹のヒットがないと成しえない。一時間あたり平均一二〜三匹のヒットが一日
中続くことの困難さは、友釣り師ならだれもが十分認識している。束釣りが困難な理由は
こんなところにあるのだ。
長年友釣りをしていると、思いがけない嬉しいこともある。他人が逃がした親子丼が偶
然引っ掛かることがあるのだ。一度に二匹ゲット。邪道といえばその通りだが、だれもが
素直によろこんでしまうのも友釣り師ならではのことか。
三五年間の中で一度だけ、一度に三匹ゲットしたことがある。掛かった鮎に引きずられ
ているうちに親子丼も掛かってしまったのだ。俺のおとり鮎が最初に水面に顔を出し、掛
かった野鮎が水を切っても、こちらへ飛んでこない。四匹全部が宙に浮いた時、思わず大
声を上げてしまった。
「ギャー、四つもへっついとるわー」
ほかの釣りで目的以外の魚が釣れると、「外道」と言ったりする。釣り方をいじって釣
ったりすると「邪道」などと馬鹿にして、なにかとプライドを重視する傾向がある。しか
し、鮎の友釣りは増えたり、減ったりして最終的に何匹持ち帰れるかが一番。最初にもっ
てきたおとり鮎は差し引いて、正味増えた鮎を釣果にするため、「親子丼は外道と一緒」
とばかりに捨ててしまう友釣り師など一人もいない。
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もともと友釣り自体、偶然的に針に引っ掛かる訳だから、「釣れればなんでもいいんだ
もーん」が大方の本音なのだ。まあそれも純粋というか、単純というか人間の本質めいた
ものを感じて、反って爽やかささえ感じる。所詮、いくら釣り師がプライドを大切にして
みても、それは自己満足以外のなにものでもないからだ。
漁協前の河原にシルバーのランドクルーザープラドがバックで停まっている。根尾川切
っての友釣りの名手、福田登喜雄だ。近年、友釣りの技術はビデオなどの普及や釣具の改
良により著しく向上した。恐らく友釣り師のほとんどが、「自分が一番上手い」と思って
いる。そんな中、やはり一番はダントツで福田登喜雄だ。
俺は彼を直接には、「福田さん」と呼んでいるが、他人と話すときは、「独眼流福ちゃん」
と言っている。独眼竜正宗と柳生新陰流がひとつになって、川に立つ剣豪に見立て、畏敬
しての呼び名だ。根尾川に来るようになって二十数年になるが、それ以前、仕事中に交通
事故で左目を失明した。今や、釣りが趣味の筆頭だ。根尾川の看板釣り師にもなっていて、
漁協のイベント「友釣り教室」でも必ず先生を務めている。
独眼流福ちゃんは人の情報を当てにせず、自分の目で川の状況を、鮎の状況を、石の状
況を見極める。相当条件が悪そうでも一度は竿を出してみる。釣れない現実も自分の手で
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試して、初めて納得する。
友釣り師は自分の腕の評価を上げるために、口でも釣りをする釣り師が多い。ヒットし
た鮎。取り込んだ鮎。最終的に増えた鮎の数(いわゆる釣果)。これらの数を少しでも自
分の都合のいいように勝手に変えてしまうのだ。特例中の特例だが、以前、俺の下流で釣
っていた三人組の一人が、三人の釣った鮎全部をおとり屋に「ひとりでこれだけ釣ってき
た」と、言って持ち込んだのを見た時、俺はほとほと閉口してしまった。
「そこまでするかぁ」
独眼流福ちゃんの申告は常に正確だ。根が正直で嘘をつけないということではなく、釣
りを愛する気持ちが人一倍強く、嘘の介入を許さないのであろう。
独眼流福ちゃんのまねをして、俺は何度も片目を閉じて、鮎のダイレクトキャッチを試
みたことがある。成功率ゼロパーセント。試してみてその難しさを知った。彼のダイレク
トキャッチの成功率は極めて高い。恐らく、長年鍛え抜いた技に対する、自信の裏づけが、
この成功率の根源なのだろう。大きなハンディを克服しての名人芸は、片腕の大リーガー
さえ髣髴とさせる。
今日は昨日の雨でかなり増水している。濁りも透視度三〇センチメートルほどで友釣り
の条件にはかなり厳しい。ほかの友釣り師はただ陸で川を見ているだけだ。それでも独眼
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流福ちゃんは、今日の釣り場を駅前と決め、ただ一人川へ立ちこんでいった。
「いくらなんでもこの濁りでは釣れんやろう」
そんなほかの友釣り師の言葉を背中に。
駅前とは第三セクター樽見鉄道木知原駅前のことだ。根尾川に限らず、友釣り師は釣り
場を土地の地名以外に、「川名」で呼んでいる。川の特徴がそのまま地名になった赤石、
長瀬などの広範囲と違い、釣り師同士が分かりやすい川名で呼ぶことで、釣り場がピンポ
イント化される。また、集落がなくその地名すら分からない山あいの河原では、その場所
の特定が難しくなる。そこで待ち合わせやポイントの説明のために、知らず知らずのうち
に友釣り師たちが勝手に川名を付けて呼ぶようになった。
根尾川で有名なのは、薄墨桜下流の「ゴンタの瀬」。その昔、釣り好きのゴンタが毎日
釣りをしていた、というところから来ている。金原ダム下流域は小川、放水口、悪瀬、十
岩、八岩、ポンプ小屋、ちびっ子広場、神坂、やながわと続く。地図にない友釣り師が付
けた川名は、今も釣り師たちの中に脈々と生きている。漁をしない人には、まったく無縁
の言葉だ。
駅前は出水の時でも、時にはよく釣れることを独眼流福ちゃんは知っている。陸で見学
の友釣り師たちのおおよその予想を裏切り、釣り始めて一分もしないうちにヒット。
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「まあまぐれやろ」
「そやそや」
外野は勝手な事を言っている。
続く二匹目も三匹目も次々にヒット。
入れ掛りだ。
陸で見ていた友釣り師たちは大慌て。
おとり屋でおとりを買う。
仕掛けを準備する。
スリムウエーダーを履く。
鮎の友釣りは準備に結構手間が掛かる。
後続の友釣り師が釣り始めた頃には、「時、すでに遅し」。独眼流福ちゃんは既に十数匹
をゲットしていた。いい石を舐め回した後だ。
そこで後続の釣り師たちに嬉しそうな顔で一言、
「おたくら、まだまだ修行が足らんねえー」
網漁師も友釣り師もそれで生計を立てている者は根尾川では一人もいない。漁師とは名
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ばかりで、実はみな職業を持っていて、いくら鮎が釣れそうな時でも仕事をおろそかには
しない。仕事は生活の糧だが、漁業はあくまで趣味の延長だ。
しかし鮎の魅力に負けて、仕事を忘れ、家庭を顧みず、鮎に溺れていく漁師を俺は何人
も見ている。
「栄枯盛衰」
折角、長年掛けて積み上げた信用や身代も、時に落ちぶれていくことも仕方ないことだ。
しかし、その原因が鮎にあるとされては、鮎にとってもさぞかし不本意だろう。優先順位
からいけば当然仕事が一番。それでも鮎の魅力にみな負けてしまうのだ。鮎が入れ掛かり
しそうな川を見ると、もう仕事のことなどそっちのけになってしまう。それほど、魅力的
な魚、それが鮎なのだ。
本当のプロの友釣り師の腕とは、多くの鮎を釣る技術などではなく、鮎の誘惑に負けな
い強い精神力そのものなのかもしれない。
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