テーナ漁

 

 

 

 

 根尾川の網漁の解禁日は、その年の川の条件や、友釣り専用区などの兼ね合いで、かな

り細分化されている。

 毎年、長良川鵜飼に合わせて五月一一日に、大野橋より下流の網漁解禁を皮切りに、山

口堰堤下流七月一日、山口堰堤より上流の友釣り専用区を除く地域が八月一三日に解禁さ

れる。友釣り専用区の専用区解除が九月一日と九月二一日。そのほか、保護区、禁漁区な

どの解禁もある。漁師にすら分かりづらいため、「根尾川筋漁業協同組合」が、「組合員

の皆様へ」といった案内チラシを作成し、漁業権行使規則や解禁日、友釣り専用区を地図

で詳しく説明している。

 以前は、各解禁日の午前零時が解禁だったが、真夜中のため時刻を守らない漁師がいた

り、監視員も大変なことから、昼の正午に変更された。しかし、真夏の炎天下で朝から昼

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まで待つのも辛いし、時間の無駄だという漁師の意見に従い、最終的には午前八時で収ま

った。漁師のだれもがこの時刻が一番だと思っているようだ。岐阜県条例に違反しない限

り、漁協は漁師の意見を最大限取り入れている。

 そもそも網漁と名の付く漁は漁協の組合員でないと、「鮎網」の漁業権を取れない。鮎

網があれば、投網、テーナ、投げ網、鮎釣り、あまごなどの雑釣りなど、ほとんどの漁が

可能だ。

 組合員になって鮎網の鑑札を受けるには、根尾川筋に住んでいることが条件だ。揖斐川

町谷汲、大野町、本巣市、北方町、瑞穂市の住民票が必要になってくる。

 プラス二年間の遊漁経験(釣りの年券購入者)

 プラス漁協の株券購入三三〇〇〇円。

 プラス当年の鮎網の漁業料七五〇〇円。

 プラス手数料数千円。

 これで晴れて組合員だ。一見難しそうだが五〇〇〇〇円ちょっとのお金があれば簡単だ。

もちろん株券代は組合員を辞める時は、そのまま、またはプラスアルファが付いて帰って

くるから最高だ。

 以後、鮎網の年間鑑札代は七五〇〇円。非組合員の釣りだけの遊漁料と比較すると極め

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てお得だ。しかし近年、ほかのレジャーに押され気味で、組合員の減少は漁協にとっても

悩みの種のようだ。平成三年の三六〇〇人をピークに、十数年後の今では二一〇〇人と激

減している。現在の組合員はほとんどが五〇歳以上で、一〇〇〇人を割るのも時間の問題

のようだ。

 

 それぞれの網の解禁日には、多くの漁師がテーナを持って河原へ大集合。テーナは漁協

の規則で最長六〇メートルと決められているが、重すぎるのと使い勝手の関係上、一般的

には二〇間(三六メートル)の長さのテーナを使う漁師が多い。

 網の目の大きさは飛び跳ねる鮎などから各自が決める。目の大きさは漁獲量を大きく左

右するから、慎重に選びたいところだ。また、網の形式も、袋網の人もいれば、障子網の

人もいる。流速の速い場所は袋網、ゆったりとして水深のある場所は障子網が適している。

中には一本しかテーナを持っていないため、如何なる条件下でもそれで通す人もいる。そ

れでもそこそこ獲れるのが、この解禁日なのだ。

 特に七月一日と八月一三日の網漁解禁には、川相が網漁に適していることもあって多く

の漁師が集まる。朝の四時頃からジープが河原を走り回り、中には徹夜で場所取りをする

漁師もいるほどだ。特に徹夜組は前夜から呑みすぎて、解禁時刻にはふらふらの漁師もか

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なりいる。網の解禁自体よりみんなで呑むことの方が楽しみな漁師もいるくらいだから、

当然といえば当然な話だ。

 両岸には五メートル間隔ごとにテーナを持った漁師が並び、午前八時の爆竹の合図で一

斉に走って網を張る。水深のある場所では、全速で泳いで張る。少しでも早く張った方が

有利になるので、漁師も必死だ。堤防や橋の上から見ていると、パニックになっている様

子が可笑しく、鮎を獲っているより楽しいかもしれない。

 網を知らない鮎は、突然の奇襲に大慌て。

 あちこち逃げ回って、自分の体に合った網の目に御用。

 はいそれまで。

 素人でも二、三〇匹くらいは簡単に獲れるので、この日だけ川へ来る人も少なくない。

毎回、この解禁日には皆出席の漁師もかなりいる。通称トミサ、ノブサ、ヤマチョウサ

ン、山チャン、ノーチャに竹さん。解禁時刻の午前八時を待つ間、鮎談義は尽きない。

 

 解禁のテーナ漁は一回勝負だ。鮎を外し終わって、再度網を張り直しても、もうほとん

ど鮎は獲れない。一度、網に脅かされて逃げ延びた鮎は、群れを作ってうろうろしている。

この鮎は「百戦錬磨」のプロの漁師でないと獲れない。

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 そこで出番となるのが高橋兼太郎。根尾川親睦会の会長「カネサ」だ。

 親睦会は毎年、鮎漁が終わった秋に漁師たちが集まり、魚類の供養と親睦を兼ねた慰霊

祭などを行っている。彼だけは根尾川中のだれもがカネサと呼んでいる。漁の技術に優れ、

尚且つ人望も厚い為、彼を呼び捨てにする漁師はひとりもいない。

 鮎漁師は下手な漁師ほど小忙しく動き回って、縄張りなどを作ろうとする。カネサはほ

かの漁師と競り合うこともなく、いつでもどこでもゆったりとしている。それでいて、人

一倍多くの鮎を獲ることのできる技術が、ほかの漁師の憧れになり、人望の厚さにも繋が

っている。カネサの漁を見るたび、「漁師とは本来、こうありたいものだ」と俺は常々思

っている。

 カネサは左手に一五間(二七メートル)のテーナ、右手には四メートルほどの竹を持っ

ている。竹は先端の細いところを火で焙って曲げてある。ひらがなの「し」の字のような

形だ。

 鮎の群れは橋の上からだとよく見えるのだが、いざ川に立つと、余程の熟練がない限り

ほとんど見ることができない。鮎が飛び跳ねたのを見逃さず、群れが射程圏内かどうかを

見極めないと負けだ。さらにこのような鮎は水深のあるところからは、なかなか出てこな

い。そこでこの竹が活躍する。曲がった竹の先端で水面を「さっー」と切ると、切った反

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対方向へ鮎は走る習性がある。これを利用して、深場から鮎を追い出し左手の網で巻き取

るのだ。

 この竹で水を切る行為は、そもそも川鵜が空から川へ着水する時の瞬間を模している。

鮎の天敵の川鵜を竹一本で作り出し、一網打尽にする。漁師はこの漁法を「サオカキ」と

呼んでいる。鮎との駆け引きの面白さ、一度の漁獲量、漁の手軽さなど総合的にみると、

これに勝る漁法はない。

 カネサは「ちょん、ちょん」と、竹の先で水面を軽く叩くと、一旦竹を脇に挟んだ。

 左手に持った網を一メートルほど左手で手繰って、真下へ投げた。

 そのまま川の流芯に向かって網を張り進んだ。

 途中三回、竿を掻いた。

 網を張り終えて二、三回水面を叩くと、もう網を上げ始めている。

 ちょん、ちょんから網を上げ終わるまで二分ジャスト。

 今回の漁獲量、二分で鮎五六匹なり。

 河原で見ていた漁師たちは首を傾げながら、「流石はカネサやなあ」としか言葉が出な

かった。しかし、この漁法を習得することは、とても困難で且つ成功率も低い。カネサほ

どの漁師でも、成功率は二〜三割といったところか。鮎との駆け引きに勝った時は深い充

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実感に包まれる。反対に失敗に終わった時は、ただ疲れと脱力感だけが残ってしまうこと

になる。

 

 同じく解禁後に、鮎を狙っている漁師がいる。高橋 哲だ。俺は彼を「サトッサ」と呼

んでいる。俺の父もみんなから「サトッサ」と呼ばれていたので、初めは父を呼んでいる

ようで少し違和感があったが、それも初めだけだった。根尾川の漁師には前出の高橋兼太

郎初め、やたらと高橋さんが多い。「高橋さーん」の声に返事が二つ返ってくることもま

まあるので、俺は特に高橋さんには、だれにでもできる限り名前で呼ぶようにしている。

 サオカキと同じで一度群れを作ってうろうろしている鮎は、非常に足が速く人に気が付

くと、あっという間に逃げてしまう。鮎に気づかれる前に静かに近づくか、鮎の喰み場所

をあらかじめ見つけてそこで待ち伏せして網を投げて獲るのがサトッサの十八番の「投げ

網漁」だ。

 サトッサは、この投げ網漁以外の鮎漁は一切しない。大きな身体に温和な顔立ちのサト

ッサが川に立ち込み、静かにゆったりと網を投げる姿は、正に根尾川の夏の風物詩といっ

ても過言ではない。

 投網漁と投げ網漁は、「げ」の字があるかないかの違いだけだがまったく別物の漁法だ。

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立ちは四〇センチ、長さ一三メートル。一見障子網に見えるが、浮子と錘と目数のバラン

スで小袋と呼ばれる、弛みが一手繰りごとに施されていて、鮎の掛かりと捌きをよくして

いる。既製品としては流通していないので、ほとんどは漁師が自分で作るか、それを五〇

〇〇円ほどで分けてもらっているかだ。投げ網は見た目はほとんど同じでも、編む人によ

って微妙に使い勝手が違う。

 サトッサの網はよく手に馴染み、非常に使いやすい。俺はほとんどの網は自分で編み、

投げ網も自分で編んでいたが、サトッサの網の方が調子がいいので、今では分けてもらっ

ている。

 いくら解禁日といえども、一〇時を過ぎるともう漁師はほとんど帰ってしまって、川も

静かになる。鮎は明るいうちは一日中餌を喰む。餌は石に付いた珪藻で石垢と呼ばれてい

る。石垢を下顎にびっしり並んだ鋭い歯で、削り取って喰べている。石に喰べた跡が笹の

葉のような形で残っていて、これを「喰み跡」と呼んでいる。

 サトッサは、喰み跡がびっしり並んだ黒い石を見つけ、ここで鮎を待つことにした。鮎

はほとんどが喰み場所を決めていて、一度喰むと、また同じところへ来る習性がある。解

禁でかき混ぜたので五〇匹、一〇〇匹と群れで喰んで回っている。

 まず投げ網を左手に持ち右の手の平に手綱を一本、一本丁寧に並べていく。綺麗に並ん

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でいないと、うまく開かない。射程距離は一〇〜一五メートル。

 鮎が人の気配を感じる前にこちらが先に鮎を見つけることが最低必要条件。危険を感じ

て逃げ始めた鮎に追いつくことは、絶対にできない。

 網は半円形に打つのが理想だが、投げる距離が遠いと、どうしても開き気味になってし

まう。右手だけで網を裏返しながら投げる。見た目は難しく見えるが意外と簡単。先生さ

えよければ三〇分でプロになれる。ただし投げることよりも、鮎を見つける技術や慣れが

漁獲量に大きく関わるため、こちらも含めると、二〜三年といったところか。

 投げ網は鮎が抱卵して、徐々に川を下ろうとする時に最も活躍する。一〇月初旬になる

と抱卵した鮎がひとつの大きな群れになり、ひと瀬づつ、付き場(産卵場)を求めて下っ

ていく。根尾川での鮎の付き場は、揖斐川との合流点辺りが中心。水深一〜二メートル程

の小砂利で流速のある瀬で産卵する。条件が整えばどこでも産卵は可能で、以前は、上流

域の金原ダムのバックウォーターや中流域の長瀬地内、赤石地内でも産卵を見ていた。し

かしここ二〇年ほど、上、中流域での産卵はほとんど見ることがない。毎年、揖斐川との

合流点辺りに限定されており、上流域の鮎にとって二〜三〇キロメートルの長い川下りが

必要だ。この下り鮎を漁師は「落ち鮎」と呼んでいる。

 落ち鮎にとって、ここでも堰堤が大きなネックになってくる。堰堤はごうごう音を立て

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て水が落ちているので、鮎が怖がって止まってしまう。川の中央を下ってきた群れは、堰

堤の音に驚き安全な場所を探して、両岸の浅場まで出てくる。安全な下り場所が無いと再

び上流へと上っていく。

 この群れ鮎を漁師は「廻り」と呼んでいる。漁師は堰堤の両側に立ち、群れが廻ってき

たところを投げ網で獲ろうとする。が、すべてを熟知していないと、この廻り鮎は獲れな

い。廻り鮎は非常に見つけにくく、こちらに向かってくる時は特に見にくい。なぜか方向

変換して、向こうを向くと見やすくなるが時すでに遅しだ。こちら向きの鮎しか、網は間

に合わないからだ。

 廻り鮎の群れは多い時には優に一〇〇〇匹を超える。堰堤の端に立ち突然群れが視界に

入ると、「ドキッ」とする。だれもいない一本道で偶然、片思いの彼女に出会った時と同

じくらい「ドキッ」とする。あまりの緊張感から言葉も出ないし、網を持った手に電気が

走って一瞬固まることもしばしばだ。これが廻り漁の一番の魅力で漁獲量は二の次だ。漁

師は鮎より「ドキッ」が好きなのかもしれない。

 鮎がよく廻る頃は一〇月。からっと晴れた日が良く、前日に雨が降って一〇センチほど、

水嵩が増えていたら最高だ。水嵩が増えすぎたり、濁ると堰堤があっても廻らず、どんど

ん落ちていってしまうのだ。

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 廻り始める時刻は午前九時半頃から午後一時まで。それ以外はほとんど廻らない。廻り

鮎狙いの初心者が、朝暗いうちから入れ込んで、堰堤に立っている姿を見ると、思わず自

分の過去を思ってしまう。何時間も川に立っての待ちぼうけに疲れ果て、肝心のこれから

という時になって諦めて帰ってしまう。チャンスタイムを明らかに逸脱している。

 しかし漁師にとっては、きちっとしたマニュアルなどなにもなく、先輩か鮎に教えても

らうより道はないのだ。いくつもの失敗と経験を積んで、漁師はだんだんと腕を上げてい

く。

 廻りの投げ網漁は、山口堰堤より下流の堰堤はもとより、それより上流の赤石堰堤、魚

初堰堤、神海堰堤、金原ダムなどで盛んに行われる。

 堰堤がない場所でも廻りの投げ網漁はできる。川の流れと直角に五メートル間隔に鉄筋

杭を打ち、ロープを水面すれすれに結わえていく。ロープが水の抵抗を受け、伸びきる。

再び水を切って元に戻ろうとする時ロープが水面を激しく叩く。いわゆる人工的に堰堤の

ような脅しを作る訳だ。地方によってはこの仕掛けを「雨待ち」と呼ぶ。雨が降って水嵩

が増すと鮎がよく廻るからだが、根尾川ではそう呼ぶ漁師はほとんどいない。

 この施設を設けるには国土交通省の許可と、「瀬張り網漁」の特殊網鑑札がないとでき

ない。この漁業権の年間漁業料は三六七〇〇円。

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 このほかにも、根尾川筋漁業協同組合には特殊網鑑札がいろいろあり、夜川網(八七五

〇〇円)、巻き網(二八八〇〇)、張り切り網(二五七〇〇)、鮎以外のサツキマス専用

の鱒網、チンチコ専用の登り落とし、上り栓、石こ引きなどもあり、どれも漁業料は、普

通の鮎網に比べるとかなり高額だ。

 秋も深まり、昨夜の雨で水嵩が一五センチほど増えている。天気は秋晴れ。絶好の廻り

日和だ。サトッサは赤石堰堤の右岸側にいた。廻りの適時を見逃さず、ちゃっかり堰堤に

立っているところがそつがない。

 その日は数年に一度あるか、ないかの大廻りだった。堰堤上の「かじや淵」の鮎がすべ

て一団になり、大群れを作って廻っている。大群れが堰堤に沿って中央から、矢の形を作

って足元まで向かってくる。群れの大きさは五〇〇匹か? 一〇〇〇匹か? いやもっと

かも知れない。時々、僅かずつ堰堤の端から下へ、鮎がこぼれている。こうなれば投げ網

のプロフェッショナルのサトッサにとっては、生簀の鮎を獲るより簡単だ。

 堰堤の中央から堰堤に沿って、端の浅瀬に鮎の大群が向かってくる。

 サトッサはすでに群れを完全に視界の中に捉えている。

 網を投げるタイミングを息をひそめて待っている。

 気配を完全に消している。

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 網を持った右手を軽く後ろに振ると、素早く網を投げた。

 手だけは動くが身体は全くブレない。

 もちろん網はきっちり群れを捉えている。

 左手に持ったオリジナル要棒を群れの中心に打ち込む。

 逃げ場を失った鮎は水面上にびょんびょん跳んだ。

 四、五〇匹は掛かっていそうだ。

 網から逃れた鮎はすぐに体勢を立て直して廻り始める。掛かった鮎をまだ半分も外さな

い内に、もう目の前に鮎が廻ってきている。

「内藤さーん、はよ網持ってこんとぉ」

 鮎漁師の中には鮎を独り占めしたがる人が多い。何本も網を持ち込み、近くにほかの漁

師がいても場所を譲らない。こういった漁師が一人でもいると、川の雰囲気や秩序が一気

に悪くなる。みんなで仲良く漁をすれば廻りの時間に川に来ればいいのが、譲り合いがな

いと、真夜中からの場所取り合戦になりかねない。午前九時半にならないと廻りは来ない

のに、真夜中からの場所取りなど愚の骨頂以外のなにものでもない。

「因果応報」

 マナーや根性の悪い漁師は自然と根尾川の嫌われ者になり、肩身の狭い思いを余儀なく

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される。しかし、他人より少しでも多くの鮎を獲ることが、漁師の本能だからこれも仕方

がないことなのだ。

 その点、だれにでも気安く漁場を譲ってくれるサトッサの心の大きさが、嬉しい。これ

も技術に裏付けられた、投げ網漁への自身と余裕から来るものだろう。

「ではお言葉に甘えてひと網」

 午後一時くらいまで群れは廻り続け、サンテナの入れ物は鮎で満タンだ。鮎漁師の連絡

網を使って全員集合。午後からは河原で鮎の塩焼き宴会だ。この日はいくら頑張って食べ

ても、サンテナの鮎が尽きることはなかった。

 こうして鮎と根尾川の取り持つ縁で、いつしか赤の他人が、世代を超えた男たちが、深

い友情を醸し出していくのだ。

 

 夜を静かに待っている漁師がいる。 川船漕ぎの名手、鳥本静雄だ。 川船を漕がしたら

「トリサ」の右に出るものはいない。

 トリサは根尾川で最も多くの鮎を獲る漁師だ。得意技は「夜川網」。鮎も夜は目が利か

ないようで、明かりに追われるとまっしぐらに網に突っ込み、昼間の何倍も掛かりがいい。

 夜川網ならだれでも鮎は簡単に獲れると思っている漁師が結構多い。どっこい、この漁

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は、目論みを誤ると、漁法が大掛かりな分、労力だけでなく漁具の損出も大きくなってし

まう。その晩の漁場、使う網目と形式など、総合的な作戦は明るいうちにしっかり立てて

おかないと敗戦間違いなしだ。

 トリサは昼間に川を見て回り、今夜の漁場を山口堰堤下の「ベルコン」に決めた。ベル

コンとは、本巣市山口の住友セメントのプラントへ、大野町側の更地山から石灰石運搬用

ベルトコンベアー専用に根尾川に掛けられた細い橋だ。漁師はいつしかこの一帯の漁場を

ベルコンと呼んでいる。

 トリサの口癖は「手の指紋が見えるうちは網を入れてもあかん」だ。素人の夜川網漁師

は暗くなるのを待ちきれないのと、暗いと作業がし辛いといった理由で、明るいうちに網

を入れたがる。トリサは真っ暗でもノープログレム。川底の状態も流れもすべて知り尽く

している。これまた百戦錬磨だ。

 トリサは鮎漁以外に、根尾川に関わった大きな特技を持っている。それは「菊石」拾い

だ。この菊石は 「根尾川菊花石」 と呼ばれ、特別天然記念物に指定されている。輝緑岩

や輝緑凝灰岩の中にできた模様が、菊の花の形をしているところから菊石と呼ばれている。

 俺はこの模様は金太郎飴のように円筒状にできているものと、ずうっと思っていた。し

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かしそれは大きな間違いで、一点から放射状に開く打ち上げ花火のような形で石の中にあ

る。そのため、ちょうど球の中心で割れたり、中心まで削れた場合は菊の花に見えるのだ

が、芯を外れると花にはほど遠い模様になってしまう。しかし、川で遭遇する菊石は後者

がほとんどで、石の中に隠された花を見つける技術がなければ、菊石拾いはできないのが

現状だ。俺は何度もトリサに指南を仰いだが、いまだ菊石を拾ったことは一度もない。

 この菊石は西谷の支流、初鹿谷や赤倉谷が産出地だが長い歳月をかけ、遥か下流まで流

れつく物も多く、全川で見られる。トリサは鮎漁をしながら、水中の石も常に見ている。

そして目敏く見つけた菊石は、優に二〇〇個は超えている。中には一個数十万円の価値が

ある石もいくつかあり、ひと財産だ。「一石二鳥」、トリサのこの能力にはほとほと感心

させられる。

 トリサは勢子と協力して淵尻の浅いところに鉄筋を打ち、丁寧に受け網をセットした。

 夜川網には一〇本ほどの網を使うがこの受け網に一番多く鮎が掛かる。

 しっかりセットされないと致命傷になるので神経を使っている。

 一旦、舟を最上流部に回し、上手から順次網を入れてゆく。

 もう、辺りは真っ暗だ。

 トリサはテトラポットなどの障害物を器用に避け、網を入れ終えた。

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 同時にバッテリーに繋いだ投光器に火を点け、舟竿で水面を叩く。

 網に触れて驚いた鮎があちこちで飛び跳ねている。

 張られた網には白いカーテンのようにびっしり鮎が掛かっている。

 鮎を網から外し終えるのに二時間を要した。

 大漁だ。

 五、六〇〇匹はいそうだ。

 これだから夜川網はやめられない。

「よおけ掛かったなぁー」

 トリサは嬉しそうに何度も繰り返しそう言っていた。トリサはこと漁業に関しては人一

倍負けん気が強く、ほかの漁師がたくさんの鮎を獲った話を聞くと腹が立って仕方がない。

 しかし自分が大漁の時は機嫌が良く、実に気前がいい。それを知っているせこい人たち

は、トリサの獲った鮎を目当てに集まってくる。

 人の良いトリサはついつい、「好きなだけもってけー」。

 こんな調子では鮎よりくたびれだけが残るのも当然だ。それでもこれがトリサの良いと

ころで「人徳のトリサ」と呼ばれる所以なのである。

 夜川網漁は結構重労働だが、漁獲量においてはほかの網漁を圧倒していて、一晩で数百

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匹の水揚げも珍しくはない。

 現在、夜川網の鑑札は一五統発行されているが、主に二、三組が活動しているに過ぎず、

残りの夜川網の組合員は毎年八七五〇〇円の賦課金だけ納めている。いわゆる寄付金のよ

うな格好になっている。鮎漁師はライバル意識が非常に高く喧嘩ばかりしているが、それ

以前に気前が良いことが嬉しい。気前の良い漁師たちに漁協は支えられ、廻りまわって鮎

も支えられているのだ。

 

 

 

 

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