投網漁

 

 

 

 

 根尾川には土砂の流出防止や農業用水の取水のための堰堤がいくつもある。その中でも

上流から山口堰堤、更地堰堤、高屋堰堤、石神堰堤、カリモク堰堤、303堰堤、海老堰

堤と、「投網漁」の最適ポイントが目白押しだ。

 上流へ上流へと少しでも優れた餌場を求めて、本能の赴くまま、遡上する鮎にとって堰

堤は最大の難所だ。どの堰堤にも遡上のための魚道が設けてあるが、ナビゲーションシス

テムを持たない鮎が魚道に行き着くには相当な試練だ。まして一メートルの落差の堰堤を

ジャンプでクリアするのはもっと難儀だ。つまり、魚道を選ばずジャンプの道を選んだ鮎

は、投網の餌食となる訳だ。そんな鮎の弱点を知ってか知らずか、どこからともなく、鮎

が獲れる堰堤には漁師が集まってくる。

 投網漁をするつもりなどまったくないのに、堰堤に見学に来る人もいるほどで、毎朝、

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六時頃には必ず数人が集まっている。特に自動車の寄り付きのいいカリモク堰堤には、解

禁が近づく五月連休頃から、気候も手伝ってか、漁師が集まりだす。繰り返し堰堤をジャ

ンプする鮎を眺めながら、今年の鮎漁を占っている。漁師の社交場といったところだ。

 

 投網は直径三〜四メートルの円錐型でいちばん下が袋状になっている。広げた投網を順

次絞っていくと、この袋に魚が入る仕組みだ。網の糸は二号〜三号、目の大きさは三分〜

四分、三分の投網ならだいたい七センチ以上の魚が目を抜けずに獲れるという寸法だ。既

製品のもので一万数千円で釣具店で手に入るが、自分で編む漁師も多い。

 投網漁は鮎漁師の入門編といわれるくらい簡単で、一時間も先生に習えばもう一人前だ。

どんな漁法にも共通することだが、投網を打つことより、いつ、どのような条件で、どん

な場所がいいかを見極めるのが、なにより重要な要素になる。毎日のように堰堤に通う人

でも、「今日は大漁だぁー」と、言える日は何日もない。精々、一夏に一〜二日。坊主の

日が圧倒的に多いことは知っていても、過去の大漁が忘れられず、今日も堰堤通いが続く。

 

 林恒夫は、最も投網漁に適した漁師だと俺は思う。

 年中、海坊主のようなスキンヘッドで、体はプロレスラー並にガタイがいい。怒らせた

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らまったく手が付けられない。これまで何度となく傷害事件で臭い飯を喰っている。「ツ

ネにはかなわんで、今日は別の堰堤にいくかぁ」となってしまう。堰堤の漁は、強いもの

勝ちの世界なのだ。

 堰堤に集まった鮎の数は一緒で、それを何人で獲るかが問題だ。五人より一人のほうが、

分がいいのは子供でも分かる理屈だ。その点、自分のキャラを十二分に生かした「ツネキ

チ君」の勝ちだ。見ただけで怖そうな海坊主が堰堤に座っていただけで、鮎は登ってきて

も、人は近づかない。

 俺は本人には普段、「林さん」といつも呼んでいたが、第三者と話す時は林恒夫のこと

をツネキチ君と言っていた。見た目も性格も十分「ヤ」の字で通りそうだけど、どことな

くかわいいところもあって憎めない。また、その頃「タヌキチ君」という名の人気のパチ

ンコ台があり、役物のタヌキの人形に生き写しの風体なのでゴロ合せも手伝って、こう呼

んでいたのだ。

 俺よりは一五才も年上だが、時々本人に対してポロっと、「ツネキチ君」と言ってしま

うことがあった。「しまった」と思う間もなく「バカヤロー」と判で押したような言葉が

返ってきた。「バカヤロー」が口癖になってしまっていて、そのうち、嬉しい時でもなん

でも「バカヤロー」ばかりだと気づき、聞くたびにちょっと可笑しかった。

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 ほとんどの漁師が、一度は痛い目に遭い、林恒夫のことを「ツネ」とか「ドツネ」とか

呼んでいた。むろん本人の前では、「ツネサ」などになっていたようだが。

 その日は、前日に山口堰堤のすぐ下流で、トリサ(鳥本静夫)が「夜川網をやった」と

いうことで、

「今日はさすぞー(よくのぼるぞー)」

「水加減も良いし、またとない機会だ」

 事実、堰堤の下流で網などで掻き回すと、翌日、堰堤にたくさんの鮎が遡上することが

多く、絶好の投網日和となる。漁師たちはそれをよく知っている。

 だれもが投網とクーラーボックス担いで午前四時に山口堰堤に出勤だ。

 空が少し白けた頃、堰堤には・・海坊主。ツネキチ君がいては手も足も出せない。

 しかし、漁師もおめおめと帰るわけにはいかない。

「ツネサー、缶ビールでも一杯どーやー?」

「おっそうか、すまんなあ」

「ツネサー、俺ワンカップいっぱい持ってきたで好きなだけ呑んでくれぇー」

「あかん、あかん、そう呑むと投網打てんようになってまうで・・・」

 しかし、漁師たちは知っている。ツネキチ君は鮎より酒が好きなことを。

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 目の前のビールや酒を呑まずに我慢できないことも。

 朝日が昇るころ、予想どうり山口堰堤は夢物語のように鮎で埋まっている。

 肝心のツネキチくんは?・・・すっかりご機嫌で、もう半分うたた寝だ。

 その日は一日中差しつめて、ツネキチ君以外のクーラーボックスはみな満杯。夕方お目

覚めのツネキチ君はそれを見て一言。

「またやられた。バカヤロー」

 ツネキチ君の話によると、堰堤で一日一〇〇〇匹以上の鮎を獲ったことが何度もあるそ

うだ。なかなか魅力のある漁なのは事実なのだ。ただ、難点は一度投網を打つと次の鮎が

溜まるまで三〇分でも一時間でも待たないといけない事だ。ふつうはこの間に網の修理な

どをするのだが、気の短い漁師には相当な苦痛を伴う。もうひとつ、この漁は日斑が激し

いので、くたびれ儲けになるだけの日がしばしばだ。漁に適した日の見極めこそ、漁師の

本領といったところか?

 そんな元気印のツネキチ君も一〇年程前、喧嘩がもとで刺されて他界した。日頃から、

ツネキチ君にひどい目に遭ってきた漁師たちも、その時ばかりは痛く悲しみ、涙ながらに

焼香していたことを今でも忘れることができない。漁師にとって川ではライバルで漁場争

いや喧嘩ばかりしていても、一旦陸に上がればみな親友なのだ。

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www.kisosansen.go.jp」国土交通省のアメダスデータの気象ロボットが、降り始めから

の降水量二〇〇ミリメートルを表示している。根尾川は水嵩を増し、赤く濁っている。こ

うなると今度は同じ投網を使っての、「濁り打ち漁」だ。

 普段、平水時には淵や瀬の中にいた鮎も、ごろごろ石が流れる流芯にはとても留まれな

い。また、濁り水に酔うことも手伝って、岸辺の浅瀬で一時待機する。特に、中州の頭や

石の多い瀬の岸辺に多くの鮎が集まる。

 澄んだ水の時、瀬や淵でいくら投網を打っても、鮎はまったく獲れない。しかし、一旦

水が濁ると話は別だ。岸辺の狭い場所に大量の鮎が集まるのと、濁りで目が利かないのと

で、多い時はひと網で二〇〜三〇匹も獲れることがある。しかも、投網は手返しが速いた

め、短時間で多く野鮎を獲ることができるのだ。

 もうひとつ、堰堤での遡上鮎狙いは初期の鮎を狙うため、若い小さめの鮎が多い。しか

し、濁り打ち漁は盛期の大鮎でも、余裕で獲ることができる利点を持っている。川が増水

して濁った時は、鮎さえいれば、この濁り打ち漁で簡単に鮎を獲ることができる。但し、

水深が五〇センチメートル以下で、川底が砂利か石でないとほとんど獲れない。思考錯誤

を繰り返しながら、だんだんポイントが絞られ、無駄打ちが少なくなっていく。鮎漁師は

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「実戦経験あるのみ」なのだ。

 国土交通省の気象ロボットは、漁師にとって大変大きな力になっている。現在、根尾川

筋には、西谷最上流の黒津地区、東谷上流の大須地区、この両谷合流点の樽見地区と三ヶ

所に設置されている。最新の時間雨量と降り始めからの累積雨量を一時間毎に更新して、

自動でアップロードしている。また、川の水位は本巣市山口の水量計ロボットが一〇分刻

みにプラスマイナスを添えて公開している。

 漁師は防水型携帯端末で情報を得ながら、漁の方法を決める。夜でも情報が的確な分、

安心して休むことができる。鮎漁師は年配が多いが、こんな要素も絡んでほとんどが携帯

電話を持っている。持っていないと付いていけないのが現状のようだ。

 キヌタモ片手の火ぶり漁から半世紀、鮎漁業も大きく様変わりしてしまった。

 

 

 

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